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仁淀川 GW情報

Yananose0430001 4月30日仁淀川、柳瀬橋より定点観測。午前10時の写真。このとき加田観測所のデータ1.21m。28日が、1.33mだったのでさらに水量が減っている。今日は越知から出来地にぬけてきたが、鎌井田の沈下橋下、黒瀬キャンプ場上流あたりは、ザラ瀬で降りる必要があるかも、というくらい。

テントは黒瀬で高知ナンバーのキャンプを見かけたが、他は特になし。(加田キャンプ場は寄らなかったが、遠目に見てもにぎわい無し。)

カナディアンを車に積んだ車を1台みたが、それ以外は仁淀川でカヌーをしている人も見かけなかった。194号線の仁淀川沿いの道は愛媛ナンバーもみかけ交通量はいつもより多いが。

 月曜、火曜と学校があるので、子連れの方たちは3日(水曜)から動きだすのか?

 帰路、桂浜花街道を通る。さすがに対向車のナンバーをみると4台に1台くらいは県外ナンバーと多いが、ふだんの日曜より交通量が少ないくらいで、心配していた渋滞も全くなし。

 ちょっと拍子抜けしたGW2日目でした。

センサーとそれほど昔ではない話

GW1日目は雨。明日の高知ははれそうである。

友人の書いた「煙草」の話で「センサー」という言葉を使っていた。そこでふと思い出したことがあったので書く。

私は煙草を吸う。「ネイティブアメリカンは、モンゴロイド。煙草はモンゴロイドの文化じゃ~!モンゴロイドの体質に煙草はあっているんじゃ~!」などとうそぶきながら吸っている。

それはさておき・・・

昔、私の務めていた職場に、香辛料等の刺激物や嗜好品を一切取らない男がいた。チョコレートもカレーも、胡椒も一切食べない。聞けば「祖母がいつも食事を作っていたので、そういうものを食べなかった。今たべてもおいしいと思わない」とのことだった。山間部の出身で、お菓子の買い食いなどもしたことがないという。もちろん煙草もすわない。酒は少々飲んだように思う。

 私は彼に興味をもち聞いてみた。そのような食生活を送ったらどうなるのか?彼は、においに敏感になる。とだけ言った。

 しばらくして少し親しくなった頃、彼と2人きりになったとき、彼は私を信頼してくれたのだろう、こう言った。「秘密にして欲しいんだけど、僕は、女の子がわかる。」「え?」どういう意味か分からなかった。彼は続けた。「生理中の女性が分かる」

 つまり、においを感じるという。特定の人だけでなく、ほとんどの女性の生理のにおいを感じると言った。つまり彼は普通の人がわからないであろうそのにおいを感じるセンサーを持っているのである。

 私は彼のその能力に、不思議な感じをもった。そしてさらに興味をもった。そこで、彼に、わかることで何かいいことがあったか聞いてみた。特殊な能力である。何か役に立つことがあるのだろうか?

 「ない」と彼は答えた。「逆に」彼は言った。以前、男女のグループで遊んでいるとき、生理中の女性がいたので、なにかの拍子に「彼女ちょっと調子悪そうだから」とその女性をかばった。すると、その女性が不審がり、何で知っているのか?と詰め寄られた。何となく、と答えたら余計に怪しまれ、はてはバッグの中をのぞいたのだろうとか泥棒呼ばわりされて困った、と言った。

 以来、わかる事は絶対人に言わないようにしている。彼は言った。

おそらく食生活のせいだろう、とは思ったが、別に、生理→血のにおいと連想して、ひょっとして彼の先祖に猟師とかいて、においに対する能力が高い遺伝子が備わったのでは?と思い、彼に聞いてみたことがある。彼は「先祖に猟師はいない。」と答えた。

煙草をやめると、食事等で味がはっきりわかるという話はよく聞く。

さらに彼のような食生活をおくれば、そのセンサーは、鋭さをますのであろう。(今さら、私たちが真似てやったところでそれほど鋭い感覚を持つとは思えないが)

 彼と一緒に仕事をしていたころ、私は、彼が特殊な能力を持つ人間だと思っていた。

 しかし、今あらためて考えてみると、日本人は彼のような食生活をずっとおくってきた。カレーとかチョコレートとかを普通の日本人が普通に食べるようになったのは第2次大戦後、ほんの60年前のことではなかったか。

 おそらく日本人が持ち続けていた、彼のように繊細なにおいを感じる嗅覚を失ってしまったのは、たぶん、それほど昔ではない話、いやほんの少し前のことなのである。

この記事は、”走る建築士”の未完走紀行http://tamakuji.exblog.jp/tb/1957521
にトラックバックさせていただきました。

(女性のかた、これを読んでイヤな気持ちになったら御免なさい。でも、私が体験した事実を真面目に書きました。御了承ください)

Oさん、ありがとう

GW初日の今日29日の高知市は残念ながら雨。今のところ、激しくふっていないし、天気図をみても、雨雲は山間部より沿岸部にかかっているので、仁淀川の水量はそれほどかわらないだろう。

今年は例年より寒く感じるので、キャンプの方もカヌーの方も防寒対策をしっかりしておくとよいだろう。

昨日、仁淀川 越知片岡の沈下橋までおでかけの時のOさんより手紙が届く。CDも一緒に入っていたのでさっそくかけてみると、なんと「春がいっぱい」が流れはじめる。

なんということだろう。片岡の沈下橋で別れるとき、HPのアドレスは伝えてあったのだが、Oさんは、ちゃんとこのブログの記事も読んでくれて、私が無くしてしまっていた春がいっぱい 大村憲司をおくってくれたのである。ただ、「あいの里」から、「片岡の沈下橋」まで、車で送ったただそれだけの出会いなのに。

 「春がいっぱい」が流れはじめたとたん、昔の思い出とOさんのその心遣いのありがたさが一緒になって、うれしくて、涙がでそうになった。歳とるとなんだか涙もろくなって困る(苦笑)

Oさん、本当にありがとうございました。また、高知にきたらぜひ連絡くださいね。四万十か、仁淀川で会いましょう。

 「春がいっぱい」は、今度からカヌーが終わったときの「お疲れミュージック」としてカヌーの帰りの車で聞くことにします。

また、ひとつ増えた「春がいっぱい」にまつわるうれしい思い出と共に。

ありがとうございました。

仁淀川 柳瀬 あいの里GW

Yananose042800014月28日高知県いの町仁淀川柳瀬橋より、定点観測。4月26日より、川幅が少し狭くなっています。国土交通省「川の防災情報」HPの撮影時の加田キャンプ場あたりの水位1.33m。少し水位が下がってますが、平水時よりは水量もあり、 何しろ水が澄んできれいです。

Ainosato042802

で、「あいの里」

国道33号と194号の分岐から仁淀川をさかのぼること約14K(きれいな道なのでドライブ楽しいですよ。途中勝が瀬の沈下橋も見られます)この建物の下でも、キャンプができます。

Ainosato042803   トイレは「あいの里」で借りるようになります。

今日店長とお話したのですが「夜10時、バスが終わったら照明は消えるが、トイレは24時間開いている」とのことでした。施設売店等は9時から夕方5時までです。

「あいの里」下の河原の様子。「あいの里」建物に向かって左手に降りる道、その横の学校のプールの向こうにも降りる道があります。(こっちのほうが河原に近い)Ainosato042801

ただし、降りるまでは普通の車でいけますが、さらに河原にゆくには4WDでないと埋まりますので注意。

「あいの里」あたりまでくると、うぐいすも鳴いて、気持ちよさが1段とUP。

河原から見る風景は、対岸に道の工事や建物と自然物ばかりではないですが、空気や、水は、加田あたりよりずっと澄んでます。

私は「あいの里」にシュークリーム(¥105)とケーキ(¥210)を週3回納めてます。よろしく←宣伝(笑)

次回は、30日に「あいの里」まで行く予定です。加田~柳瀬あたりでこれが知りたい!ことあったらコメントにでも記入ください。最新情報しらべてきます。

仁淀川カヌー GW

Yananose04260001_1 昨日(4月26日)の仁淀川の写真です。やなの瀬橋より上流を望む。平水より少し増えてますが水は澄みいい感じです。「川の防災情報」、加田地点での水位1.4mですのでこれを参考に調べると水位の状態がわかると思います。

仁淀川カヌー国土交通省「川の防災情報」等のHPで確認しておきましょう。

ゆっくり下りたい方は、いの町柳の瀬の「あいの里」より下流を、

瀬が欲しい方は、越知町「コスモス公園」前か、越知町「横畑橋」下あたりから「あいの里」までのコースが良いと思います。

昨年と比べると、瀬の形も少し変わってますので、(特に危険な箇所はありませんが)下見していきましょう。

私は、GWは仕事ですが、半日くらいは下りたいなあ。いや、くだるぞっ!

高知 仁淀川 加田キャンプ場

高知の仁淀川の加田キャンプ場。GWに利用される方もいると思い、見に行ってみました。

高知のキャンプ場は、「オートキャンプ場」や、ちゃんと管理棟がある(HP等で施設紹介がしてあるものや、有名どころ)少しの施設をのぞけば、基本的にトイレと水道があるだけ。と考えた方がいいです。私のようなおやじはそれで充分だと思いますが・・・

で、加田キャンプ場。いの町を抜けて194Niyodokada0426 号線に入り、少しいくと写真のような案内がでます。(クリックして拡大しても見られないほど小さい(笑))この左側の看板のところを左折すると、すれ違いのできない細い道が100mほどあり、その先がキャンプ場です。始めての方は、おそらく見逃すか、わかっても行き過ぎると思います。後方車両に注意して充分減速して左折してください。

 キャンプ場入り口には「管理協力金中学生以上¥100-小学生以下¥50-」と小さく書いています。通常誰もいないのですが(笑)GWとかお盆休みのころにはおじさんがスチールいすに座ってお金を徴収すると思います。トイレの清掃、下草刈り等管理をしてくれている地元の人たちです。気持ちよく払いましょう。

Niyodokada042603 河原(キャンプ場)に降りてくる所の写真(入り口)。右奥トイレ、左水道です。

川上に向いて大きな茶色の柱がありそこにも水道とトイレがありますが、そこのトイレは洪水のせいか、壊れていました。使えないので、入り口近くにテントをはるほうがいいと思います。

キャンプ場から見た下手の風景です。

キャンプ場には売店等はありません。買い物はいのの町ですませておきましょう。Niyodokada042602

加田キャンプ場以前の記事はこちら

必読? 高知の道路事情

Niyodokamaida0423 4月23日(日)高知仁淀川鎌井田の沈下橋を下流より望む。(クリックで拡大)

もうすぐGWです。今年もたくさんの方が、仁淀川、四万十川を訪れると思います。

  四国島外から来られる方は、高松方面より高知に入り、桂浜等高知市内を見て、松山の道後温泉に向けて抜けらる方が多いようです。

  高速が出来て車の流れも少し変わったようですが、高知市朝倉方面からいの町に抜ける道(国道33号)が、ふだんでも夕方混雑するのですが、松山に向けて特にGWは混雑します。特に夕方。高速道路いのインターから降りて西向けの道を利用される方は夕方にかからないようにしましょう。

  それから、「高知から松山(もしくは四万十市)、100kくらいだから1時間くらいで行けるよね。」と思っておられる方がけっこういるようです。特に都市部から来られる方から時々言われます。高速、もしくは都市部の国道の感覚で考えてはいけません。高知から松山や、四万十市は、3時間くらいかかりますのでご注意を。どちらも山をこえくねくね道を走ります。

  そして、32,33,55,56号線は、2桁国道と呼びます。それ以外の194号とか197とかを、3桁国道と呼びます。3桁国道は、ただの田舎道です(笑)。194,197(以前は「197(行くな!)」と呼ばれていた道、今はずいぶんきれいにはなりましたが)あたりは、まだマシですが、439とかになると1車線の道がいっぱいあるので、時間が大幅にかかります。(台風銀座と呼ばれた高知県で、壊れた道を直す予算を国からもらうため無理矢理国道にしたのがたぶん真相と思いますが)都会の感覚で「国道だから」と行くと「この道のどこが国道じゃ~」と叫びたくなるような国道がいっぱいですので、3桁国道の利用はさけたほうが無難です。

 とにかく、高知県を走るときは、時間に余裕をもって行動しましょうね。

あわれ、鬼龍院花子 の生涯

昔話。

鬼龍院花子 (きりゅういんはなこ) の生涯 (しょうがい) / 五社英雄監督 ; 高田宏治脚本 ; 宮尾登美子原作

という映画があった。「なめたらいかんぜよ」というせりふが有名な、高知県出身、宮尾登美子現作の映画である。

「なめたらいくぜよ~」というギャグを山城新吾が言ってたがはやらなかったなあ。私はわりと好きなのに(笑)

 もう20年以上も前の映画。そのころ高校生だった私は、なぜか?彼女と映画を見に行った記憶がある。

 しかし、映画館の中は、笑いの渦であった。

俳優さんがしゃべる土佐弁のイントネーションがおかしいのだ。点数にすると70点くらい?がんばって演じているのだが、高知のおんちゃんらあが聞いたら、変なのだ。

 「どうしゆうがな!」(なにしているんだ!)「なんちゃあじゃないことをいいな!」(そんなつまらないこと言うな!)「ほたえなや!」(じたばたするな!)等々、役者さんたちが、ばしっと決めぜりふを土佐弁で言うたびに笑いが起こる。

そして一番の決めぜりふ「おんしゃあらあ、なめたらいかんぜよ!」その瞬間、どっと笑いと「そんな土佐弁じゃあ、いかんぜよ!」とヤジ。

 方言ってむつかしいなあ。

補足その1 最近の映画等の土佐弁はずいぶん上手にしゃべっています。ヒアリングの能力が向上したのか?方言指導が充実したのかあまり違和感感じませんね。

補足その2 宮尾登美子さんの本、高知の歴史を勉強するうえでもとても良い本をたくさんだしてらっしゃいます。ぜひ、読んでみてくださいね。

功名が辻 その約400年後 その2

高知の方言のお話の続き。

高知は東西に広い。海と山もある。だから、西と東、そして山(北)と海(南)で、微妙に言葉が変わる。私の感じでは、大豊町の東の町豊永あたりは、明らかに、徳島の言葉が混じっていた。高知のお城下に行くより、徳島の祖谷に抜ける方が近いからであろう。

特に、四万十市(旧中村市)あたりの幡多地方は、土佐弁の言葉づかいはほぼ同じなのだが、イントネーションが違うので幡多弁と呼ばれる。

 応仁の乱をさけて四万十市に来た一条家が整備した町が四万十市ということで、イントネーションは、京言葉に近いらしい。最近の映画等でしゃべられる土佐弁からいうとおっとりした感じがする。

 よその人が聞いたら同じに聞こえるかもしれないが、高知の人が聞くと、すぐにわかるくらいそのイントネーションは違うのである。

 思い出すに前回話した掛川の友人と話をしても、高知市あたりの土佐弁と、イントネーション、単語等で共通したところはほぼ無かった。

 一条氏が、中村に出身の京のイントネーションを残した事を考えると、一条氏は、中村に同化した。しかし、山内氏は、ここでも、高知に同化しきれなかったのでは。などと考えてしまう。

 ここで、どうしても少し思うのは、高知県知事「橋本大二郎」氏と高知県民の関係だ。

 私は、どちらかというと理路整然とした「橋本県政」を指示するのだが、どうもがんばっている割に評価がひくように思う。

 「橋本県政」になって、たくさんの問題が出てきた。「闇融資」や「裏金問題」等々。橋本県政はその問題でずいぶん責められたが、よく考えると、これらは、「橋本県政」以前の問題であり、「橋本県政」でなければ、闇から闇に、うやむやに葬られた問題のように思うのだが・・・

 政治、宗教に確固たるポリシーはないので、もうやめるが・・・

 とにかく、前にも書いたが、後ろは山、前は海の僻地の高知県、以外と外からの人に対して排他的な県民性の高知県民。

 「県外人」(高知県民は県外者のことをこう呼ぶ)と「高知県民」の微妙な対立、「一豊と千代」と「一領具足」の関係は今の「橋本県政」と「抵抗勢力」との関係のようなものではなかったかと勝手に想像する。それは、「南国土佐」の明るい太陽の下で、以外と暗く根深いものを感じずにはいられないのである。

お引越し

221_009 今日は、アイビーログ工房の保志場くんに手伝ってもらってお店の引越しをした。疲れたー。

(写真は、ログハウスメーカー、アイビーログ工房の建てたログハウス2003年建築)

保志場君と一緒にいった四万十川の記事はこちら

功名が辻 その約400年後

高知城と水害と功名が辻で一豊と千代が高知に入ってきたころの事をかいたが、その約400年後の話(昭和の末期だな)

私が地元高知の大学に通っていたとき、掛川から来ている友人がいた。

彼のことを「一豊の再来だな」などと呼ぶ教授もたまにいたが、そのころは山内一豊が以前掛川城主だったこともしらず(というか興味なかった)、ただの友人としてつき合っていた。

ある時、彼の部屋に居て何かの雑貨をもって話をしていたときだった。

「これ、えいねえ」(土佐弁→これいいね)と言っていると、彼が不意にこう言った。

「いいよ、くれてやるよ」

「え?」

「いいよ、くれてやるよ。」彼は笑顔でそう言った。

私は、すっかり面食らう。「くれてやる」って、すごくバカにした言い方じゃないか?

その日は、とりあえず何も言わなかったが、後日聞いてみた。

「くれてやる、ってすごくイヤな感じをあたえるよ」

「え、くれてやるは標準語だよ」

「ちがうって、」

「いや、標準語だって。」

つまり、掛川では、「くれてやる」は「あげる」(やるの丁寧語)と同じだと言う。

静岡市から来ていた友人にも聞く。

「わかる(理解できる)、けど、あまりつかわないかなあ」と歯切れが悪い。

結局、広辞苑ひっぱりだしてひくが、あまり要領を得なかった。ちゃんと辞書で調べられなかったのだ。←本当にみんな大学生か(笑)

今になって、ネットでしらべても「くれてやる」は辞書にないようだ。「くれる」でひいたら以下のようにあった。20数年前の疑問を今になって解決(爆)

(2)話し手または話題の人物が他者に物を与える。受け手をややいやしめた言い方。くれてやる。
「五銭の白銅を出して、剰銭(つり)は―・れて来た/多情多恨(紅葉)」「北の部屋にこめて物な―・れそ/落窪 1」
EXCITE辞書 大辞林 第二版 (三省堂) より

(関西以西では使わないが、関東方面では使うのではないか?と家内。知っている方いたら教えてください)

 今の高知の(私の感覚)では、友人とかには、「やる」をよく使う。取引先とかななら「差し上げます」「お使いください」かなあ。私の感覚では、「あげる」になると、(本来「やる」の丁寧語が「あげる」なのだが)そのていないな感じが、かえって少しこちらが優位に立っているように感じられるのであまり使わない。土佐弁で会話できる友人とかには、「あげる」は、みょうに標準語っぽくてスカした感じがするのだ。

う~む、かるい気持ちで書き始めたが、ニュアンスの微妙なところはすごく表現しづらいなあ・・・

で、何が言いたかったのかというと、土佐弁でも、男土佐弁、女土佐弁もあるし、ニュアンスも微妙だし、関西弁だと「橋」「箸」、「雲」「蜘蛛」のイントネーションもほぼ同じだが、掛川とかになるとイントネーションも変わってくるし、(事実仲の良かった静岡の友人のイントネーションもなじむまでしばらくかかった)山内一豊と家来たちが高知にやってきて、言葉の問題でずいぶん苦労したのだろうなあ・・・ということだ。

たぶん多くの関西方面から西に人がそうであるように、「標準語圏」の言葉をつかわれるとみょうになじめない、以外としられていないが排他的な高知の県民性など考えると、コミュニケーションをとろうとせっかく好意で言った「くれてやるよ」が、関係をよけい悪くしてしまったこともあったのではないか?などとみょうな妄想をしてしまう。

新幹線や飛行機で人間が移動していた「昭和の末期」でさえ、方言で苦労したのだ。

江戸の始まりのころは、おそらくものすごい違和感だったろうなあ。

「けんど、そうやきゆうて、あしゃあ、標準語らあ、つかわんぜよ~」と書いて、ふと思った、今私たちが話している土佐弁は、山内一豊と家来たちが高知にはいったあとの言葉である。

土佐弁は、掛川弁(遠州弁?)とまざった(混じった)のだろうか?高知に掛川の言葉は残っているのだろうか?謎が、またまた謎をよんでしまった。

誰かおしえとうせ~(教えてちょうだい)

仁淀川 柳瀬 あいの里

いの町柳瀬にある「あいの里」まで、最近は週3回配達に出かけている。

思えば、いの土佐和紙工芸村(いの町鹿敷)が出来たときにお話をいただいて納品をはじめたから、もう10年くらい、週1回は「仁淀川」をながめていることになる。(今は「あいの里」「工芸村」両方に配達している)

それでもあきないからよっぽど自分は川をながめるのが好きなのだなあ、などと思う。03170001_3

「あいの里」のすぐ上にある柳瀬橋より上流を望む(2006年3月17日撮影)

カヌーを始めてからは、自分が下ることをイメージするので、よけいに川をながめるようになった。

 高知市から行くとき、いのの町を抜けて、仁淀川にかかる赤い橋を渡らずに右に(国道194号線)入る。その瞬間からなんだか「ふわーっ」とした気分になるのである。車の窓を開けて、走る。雨だろうが、晴れだろうが、どっちでもいい。

明日も配達。越知町にも配達があるので、明日は、越知から片岡を沈下橋をながめながら越え、出来地をぬけて「あいの里」に向かう。このルートもまた最高である。

仕事中といえば仕事中なのだが、自営業なので、自分のペースで仕事してる。たのしいぞ~。

仁淀川 越知片岡の沈下橋までおでかけ

今日は、いの町「あいの里」まで配達。お仕事すまして一息ついてると、駐車場に関西方面のナンバーの車からファルトらしきものを降ろしている人がいる。話しかけてみると、「出来地か、片岡あたりから下る予定」とのこと。一人だったので、こちらが勝手に申し出て、片岡まで運んであげることにする。 

 いつもはポリ艇で下るので、ファルトで下るときの事を意識しないのだが、改めて見ると、底をすりそうな場所がいくつかあることに気づく。ファルトだと底が破れてしまう危険があるのだ。今日は黒瀬キャンプ場の上が少しヤバそうだったが、それ以外は出来地の瀬もファルトでいけそうであった。(水量が少ないと出来地は底をすりそうになる時がある。)

 今日はダム放流中とのことで水量も多くそれほど濁りもなく、瀞場も早く進みそうである。少し気温が低いが、すぐ気温も上がるだろう。

片岡の沈下橋について、彼を降ろし、帰路につく。それにしても片岡から出来地あたりはいつ行っても気持ちいい。4月は仕事で下れそうにないが、鮎のはじまる6月前までにぜったい通うぞ~。と心に誓う。

Oさん、仁淀川楽しめましたか?

ちなみにいの町の仁淀川沿いは、バスもありますが、便数も少ないです。特に「あいの里」から上流は便数が減ります。仁淀川あいの里のあたりを下るときには、キャリア付きハイヤーでカヌー搬送してくれる「大はらハイヤ-」さんがあります。カヌーで仁淀川を下る方は情報として知っておくと便利かと思います。

 大はらハイヤーさんのHPはこちら

 片岡~黒瀬キャンプ場をカヌーで下る、はこちら。

高知城と水害と功名が辻

04200001 紀貫之のころ高知市は海だったのだなあなどと前回書いたあと、じゃあなぜ山内一豊は高知城をあの場所に建てたのだろうと考えていた。 (写真は逢坂峠から見た風景。紀貫之が高知に来た頃は、まんなかから上あたりが海だった。今は家が建ち並ぶ。高知城もあるはずだが見えない)

功名が辻の本を家内がもっていたので、ちょっと読んでみた。

高知では、高知のお殿様の話「功名が辻」で高知を盛り上げようとがんばっているが、実は、山内一豊とお千代は高知にやってきて数年で一豊は死に、千代はその後高知を去っているので、2人が高知で過ごした日々は10年も無いのである。おかげで、「功名が辻」の中で、高知で過ごした部分もたいしたページがなかったのですぐ読めた(苦笑)。

「功名が辻」の中にあるので司馬遼太郎の説、ということになるのだろうか?高知市は「河内」と呼ばれ、年に数度水害がおきることも一豊は知っていたらしい。それでも城を建てることを提案した側近の百々氏が、美濃で過ごし、治水に詳しかったことから今の場所に決めた、そして、一豊が、「河内」を「高知」と名付けたとなっている。

なんだかまゆつばな感じもするが、まあ、良しとしよう。(何様だ?)

つまり、高知城とその城下町をつくり、輸送手段としての川の利用を考えれば、今の場所がふさわしかった、というわけである。うーむ、なるほど。

他に浦戸城(今の桂浜のあたり)や、岡豊城(今の南国インターの少し南)もあったはず。

私個人のおすすめは?、岡豊城なのだが、高知の長曽我部氏の残党等の抵抗勢力に悩まされた一豊にとっては、新しく町を築きたかったことと、やはり輸送の便利さが、決め手になったのだろうか・・・

おかげで、現代でも高知市は、水害によくあう。

高知城の外堀としての意味ももつ、鏡川も江の口川も高知城のすぐ近くまで満潮時には潮があがってくる汽水域なのだから台風とかきたらすぐ浸かってしまう。現代の土木技術でも水害がおきるのに、昔はもっと大変だったろう。

お殿様のいる高知城は小高い丘の上だから浸からないけどさあ・・・などという昔の人の声が聞こえてきそうである。

 さて、「功名が辻」のあとがきで気づいた事。「功名が辻」のお話の主人公は、「一豊とお千代」じゃなくて「お千代さん」なのだそうだ。どこまでも影の薄い男である。一豊ちょっとかわいそう・・・

昔高知は水の中

紀貫之のころ高知市は、ほとんど海の中だったようである。

「土佐日記」に記されているが、紀貫之は、高知に赴任するとき、船でやってくる。その船は、(今の高知市の一番山手)一宮まですすみ、そこから歩いて峠を越える。

前任のものとその峠で会う。その峠が今の逢坂(おおさか)峠である。逢うから逢坂峠。

今も地名に残るが、比島、竹島、葛島等は、紀貫之の頃は高知湾に浮かぶ島だった。大津の「津」も海に使う地名だから、大津あたりまで海だったのであろう。

 紀貫之の頃の高知の中心地は現在の南国市である。

南国バイパス、南国市の「カーサシモダ」や「ネレウス」から(ローカルですみません)、北に向かう道を進むと、途中少し上り坂になる。(アイビーログ工房がある少し手前)。その上が、台地のようになっている。その段差は、東西にずっと伸びているが、この段差こそが昔の海と陸の境界線では、なかったか、と思う。紀貫之の務めた「国府」はこの段差の上、台地の上にある。

 そう考えると、今の南国バイパスも、高知龍馬空港も、高知市の大部分も昔は、海の中。

 逢坂峠で紀貫之の見た風景を想像する。山際まで浅瀬がつづき入り江に点在する島々。水は澄み、生き物もたくさんいただろう。今とはずいぶん違った美しい風景だろう、と。

 地球温暖化がすすんで、海面の水位上昇がつづけば、高知市は、「土佐日記」のころの海に戻るのだろうか?

異常気象

この週末も高知の天気は悪そうである。この週末には用事があってカヌーには、でかけられないが、やはり日曜日は晴れたほうがうれしい。

今年はなんだかよく雨が降る春だ。なんとなく例年より寒い気もする。異常気象か?地球温暖化の影響か?←温暖化で北極等の氷が溶ける、冷たい水が海に流れ込み、海の温度が低下する。

 以前聞いた話だが、ここ100年くらいの安定した気候は、「異常気象だ」という説があるらしい。

 地球の歴史からみれば、こんなに気候が安定した時期は珍しい・・・というわけで、安定した気候が実は「異常」という説。

 なるほど、とも思うし、やれやれ・・・という気もする。 

ともあれ、最近の雨の降り方は、確かに激しすぎる。ハワイでも大雨で被害が出たらしいし、高知もすぐ浸水する所にたくさんの人が住んでるから気をつけないといけないなあ。

高知の98’豪雨←全国版のマスコミでほとんど取り上げられなかったけど、高知県下ひどい被害がでた。(うちの店も浸かった。)そのころに「高知新聞」で見た記事にこう書いてあった。

高知の名の由来・・・もともと「河内」と呼ばれていた。しかし、水害が度重なるので縁起かつぎもあり「高い」という字を当てるようになりやがて「高知」となった。

昔から水害に悩まされてきた土地なのである。というか、低いところに人が勝手に住んだ、ということだけどね(笑)

高知市はもともと鏡川、江の口川に挟まれた土地である。高知城も内堀はあるが外堀はない、そのかわり上記の2つの川に挟まれているので、その2つの川が外堀の役目を果たしている。まさに河内なのである。そりゃ水害にも合うわなあ・・・。

南海地震も起こりそうだし、水害も怖いしなあ。

土佐の高知はいつまで土佐の高知なのか?

功名が辻が始まって以来、家内が、歴史の本を読んだりしながら「山内一豊と千代」のお勉強をしているようである。私もつい興味がわいてしまうのだが、どうも一豊という人は、どうにも「うだつの上がらなかったヒト」のようである。

今でも「一豊の妻」というお菓子はあるが、「一豊」という商品名はあまり聞かない(笑)

歴史をしらべてこれだけうだつのあがらない男が何故一国の主となったのか、あら不思議?そうか嫁さんがすごかったのか、というのがどうも「功名が辻」のお話のようである。だから家内が自分とオーバーラップしていつもより熱心に大河ドラマ観てるのか(苦笑)

 家内が読んだらしいが、土佐にやってきても、以前土佐を支配していた長曽我部氏の元家来たちを「宴をやるからこい」と呼んでおいて、千代が反対したにもかかわらず、斬り殺したらしい。やれやれ。

 さらに、上士(山内家家来)と郷士(長曽我部氏の元家来)という身分制度つくって、郷士は雨の日も下駄はくなとか地元の侍を差別してたらしいのである。なんだか官僚的?(←上士と郷士については、司馬遼太郎の「坂本龍馬」あたりにその記述がくわしい。小山ゆうの坂本龍馬の漫画にもでてくる)

なんだか高知で山内家の人気があまりないのはどこかにそんな昔からのことがあるからなのか。反骨精神をもつ「いごっそう」もそんな徹底的な差別のなかから生まれてきたのかも←勝手な推測だが。

 お城を開放して、「よろしくね」と宴をひらき、お城にやってきた人々が喜んで「お殿様は偉いヒトだな~」と「えらいやっちゃえらいやっちゃ」と阿波踊りを生んだお隣阿波の蜂須賀公とはえらい違いだ。

余談だが、うちのATOKで「はちすかころく」とうつとちゃんと変換されるなあ。さすが徳島の会社!「かずとよ」とうっても「一人よ」と変換されるぞ、ここでも影がうすいぞ「一豊!」

TVでは、忍びが千代の幼なじみで、「情報」を手に入れている様子が描かれるが、千代さんは、「情報」戦に長けていたらしい。今も昔も「情報」をにぎったものが勝ちか。

さて、時代かわって現代。私が気になるのは、高知の商品とかにやたらに「土佐」がつく。

「土佐犬」「土佐ジロー」「土佐文旦」「土佐和紙」「土佐備長炭」等々。「土佐の高知のはりまや橋」からはじまって「南国土佐の~」というフレーズも多い。

たしかに県外にでると「高知」はわかりにくいみたいで「土佐の高知」というと通じることも多かった。

が、21世紀。廃藩置県で高知になって100年以上たってもやっぱり「土佐の高知?」

「江戸の東京」「薩摩の鹿児島」「琉球の沖縄」とか聞かないなあ。

こうなったら「高知県」やめて「土佐県」のほうがずっとすっきりするような気がするが・・・

安芸市内原野公園

Aki04160022 昨日は、車中で聞いたラジオで、高知県安芸市の「内原野公園」がツツジ祭りをやっている(5月7日まで)とのことだったので、さっそく出かけてきました。

高知にはめずらしい灌漑用のため池があって、その池の斜面に様々な種類のツツジが咲いていて散策できるようになっています。江戸時代に植えられた(と思う)ツツジは、ほとんどが2mを越える高さとなり、ツツジのトンネルのようになっているところもあり、楽しめました。

Aki04160024土佐藩城主山内家の家老五藤家の領地ということで、(NHK大河ドラマの武田鉄矢の役、大河ドラマでは今のところ五藤家に跡継ぎはいないが??・・・)なんだか少し親しみを感じたりしながら、安芸の町をふらふら。安芸駅にできていた安芸駅ぢばさん市場で買い物。

駅にあったパネル、五藤吉兵衛が主君山内一豊のほおにささった矢を抜いた。その矢は今も安芸にある。という文章を見ながら「本当かなあ」などと話していたのだが、ちょうど昨日の夜、NHK大河で、そのエピソード。そしてゆかりの地紹介で、安芸市がでてきて「主君のほおから抜いた矢尻」と「そのときはいていたわらじ」が放送で紹介される。

ジャストタイミングだっただけに、なんだかうれしくなった単純な私でした。

あれから1週間

Sima040904iwama さっきふと思ったのだけれど、1週間前の今頃は、高知県の四万十川のほとりにて鹿と遭遇したりしていたんだなあと思うとなんだか少し感慨深い。(「四万十川カヌー」にくわしく書いてます。)

(写真は四万十川岩間の沈下橋、その少し下流に、新しく大きな橋がかかっていた。)

近そうで意外と遠いのが四万十川である。高知市から距離で150Kほどだが、窪川から道も所々狭くなるし(この狭くなった道の木々の間から見る四万十川が最高なのだが)以外と時間もかかる。高知の人間はその遠さを知っているが、よそからやってくる人にとってはさらに遠いと感じるだろう、などと思う。

須崎市を過ぎるとコンビニもほとんどなくなって、ふだんの生活からいうとずいぶん不便である。だからこそ四万十川の価値があるのかもしれないが。

 仁淀川と比べると(水質は仁淀川のほうがきれいらしい)やはり、不便ゆえの楽しみがプラスされているのだろうか、仁淀川の景色もよいのだが、なんとなく「四万十にいく」のはわくわくしてしまう。

夏までに子供連れてキャンプに行きたいなあ。

佐田の沈下橋から車落ちる

Sima040904kuchiya 昨日、四万十川の佐田にかかる沈下橋から車が落ちたらしい。TVのローカルニュースでみた。一昨日からの雨で増水しているので、たぶん、助からないだろう。

(写真は口屋内の沈下橋)

 高知では、毎年沈下橋で流されて何人かの人が死んでいる。毎年台風の頃には必ずといっていいほどこのニュースが流れる。いわば高知の風物詩である(苦笑)

 沈下橋が観光資源として見直される前は、「貧しさの象徴」といわれていた沈下橋。

 増水するとすぐ水は橋を越える。水が越えることを想定しているので、ゴミ等がひっかからないように欄干もない。考えようによっては危ない橋である。

 以前、東京から赴任してこられた方が言っていた。「高知のみぞ、というか側溝は、フタしてないから危ないなあ。夜、酔っぱらって自転車で走ってたらおっこっちゃうよ。」

そんなこと、気にもしてなかったが改めて言われると確かに高知の側溝はほとんどむきだしである。排水性をよくしているのかこれまた貧しさのせいなのかよく知らないが確かにそうだ。

 でも、四万十の沈下橋も高知の側溝も同じだが、ほとんどの人は、気にせずうまく折り合いをつけてやっている。だってそれが小さい頃から慣れ親しんだ環境なのだから。

 だから高知の人の多くが、「危険だね、なんとかしないとね」とは思わずに「落ちた方がどんくさいがよ」と思っていると私は思う。

 都市には都市の危険がある。田舎には田舎の危険があるのだ。

いずれにせよ事故に遭った方とその関係者のかたがたには気の毒な事件である。このようなことがなるべく起こらないことが一番いいなあ。

四万十川カヌーカヌー館~口屋内まで

四万十川カヌーツアー。カヌー館前の瀬で無事、沈をすませ?さあここからはのんびりと川下り。写真をいっぱい撮ってやろうと防水もなにもしてない普通のデジカメを取り出し撮影開始。

実はこのデジカメ、2年前に半家の沈下橋の下、「茶壺の瀬」で沈したときに、ちゃんと閉めてなかったドライバックの中でずぶぬれになった歴戦の勇士だ。

電化製品を水に濡らしたときは、絶対にスィッチ等をいれないで電源(電池)を抜き、4~5日乾かすとよい。携帯電話をトイレに落とした人がいっぱいいた頃(昔の携帯は重くかさばったので、シャツの胸ポケットに入れていてトイレに落とす人がけっこういた)聞いた話だ。Sima040903ajiro 「茶壺の瀬」で沈したときも、携帯とデジカメを濡らしたが、この方法で(いちおう)復活した。いちおう・・・なのは、携帯もデジカメもデータが飛んでしまったことと、デジカメは、それ以降フラッシュが焚けなくなった、ことである。まあ、それくらいですめば良いほうだ?その後、携帯は非常に調子がよくなったので、私は四万十の水が携帯とカメラを清めてくれたのだ、と勝手に思っている(笑)

 (写真は四万十川、網代で昼食と休憩をすませ、さあ出発!)

さて、ずっとたいした瀬もないところを口屋内までこぎ続ける。きもちいい、と思っていたのだが、だんだん向かい風が吹き始める。

ゆっくりと私の艇だけ後れ始める。理由は3つ。

①沈のあと上だけしか着替えなかったので、トイレのために私だけ何度か上陸した

②私の体重(93K)のせいで艇が沈み遅い

③アイビーログ工房の方といくといつも思ってしまうのだが、いつも丸太かついでチェーンソーもって仕事している人の腕っ節と、私のような金も力もない色男が(爆)同じペースで進めるわけないのだ。しかも、今回参加した人々は、私以外はログハウスつくっている人と、林業関係で間伐等のためチェーンソー片手に山に入っている方・・・・言い訳といえば言い訳だが・・・

そんなわけで、口屋内についた頃には、私だけはるか後ろ、私が、上陸した頃にはみなさんとっとと片づけていました。いつも後れてすみません・・・

そして、私は、今回のツアーで今後の減量と、腕の筋肉を鍛える決心をしたのでした。

「パドラーの減量と筋力強化日記」に続く、かな?

子供と散歩

昨日は、ひどい雨でした。高知市の中心を流れる鏡川のそのまた中心、高知県庁を南にいった地点にある「緑の広場」あたりは冠水したようです。まあ、台風がくればいつもここは浸かるのですが、昨日の雨(風も)台風並みだったということですね。この気圧配置はそのまま東に移っているようですので、関東あたりが今は大変かな。そちらの方は気をぬかないように。

さて、昨日の夜は雨もやんだので、長男をさそってジョギングしようかと思い準備していると、次男(3才)が「ぼくも行く~」と騒ぎ始めた。まあ、いつものことなので、ちゃんと歩くことを約束させて散歩に変更。

 祖母の家に食事を届けに行く道々、子供連れて3人で散歩。雨上がりの空は澄んで、月がきれいで、田んぼには水が入り、カエルがないている。少し小さく何の虫だろう、金属音のような音(鳴き声)を立てている。

 今までは車で届けていて気づかなかった音や風景がいっぱいあることに気づく。

途中までは長男の通学路なので、長男が水路にいるイトミミズのことやちょっとあるきにくい秘密の近道のことなど話してくれる。

帰りはやっぱり次男が疲れたので、私と次男は祖母の家に置いてあった自転車にのって長男はジョギングで帰宅。

ほんの少しでしたが楽しい時間を過ごしました。

四万十川カヌーカヌー館の前で沈

今日は、高知はひどい雨と風。小さな台風のような感じです。川の水位もあふれるほどのことはないようですが、これではひどく濁ってしまうはず。

Sima040901 四万十川カヌー報告続き。朝、口屋内を車で出発。カヌー館より一つ上の沈下橋に到着。さっそくファルトチームは組み立て。水温は12度。冷たいと言えば冷たいが、まあ、大丈夫。

10時すぎに出発。平水より30cmほど水位が高いとのことで、流れは速く瀞場も楽に進んでゆける。天気は曇り(ひどい黄砂だったらしい)。天気がよく水がもう少し澄んでいれば最高なのだが・・・

小さな瀬を2つ越えカヌー館の橋を越える。すっかり調子にのっていた私は、カヌー館前の瀬を一人先に越えてみんなが瀬を越える写真を撮影しようと先を急ぐ。ところが・・・

ところが、である。カヌー館前の瀬にはいったとたんに木が瀬の上に大きく倒れかかっている。この木は、以前からあったもので、知っていたのだが、いつもより水位が高いので、当りそうに感じる。しかも木の下を抜けようと思っていたコースより少し右により、より水面と木の間が狭いほうに艇は進んでしまった。「ヤバイ・・」今思うと、前かがみになればぬけられていたのだが、そのときは木に頭が当ると思ってしまい、なぜか、とっさに木に右手をかけてしまった。艇はすすむ。手をかけた体は残る。上半身は、後ろにそってしまう。

まさに、カヌーのイナバウワーやあ!状態。次の瞬間、艇は左に傾き始める。なすすべもなく沈。瀬の泡のなか、ライフジャケットを着ていても水に沈み込む。(この様子をみていた岡原さんは、うきあがってこないのでかなりヤバイと思ったらしい)沈脱して泡の中「水面にでろ~でろ~でろ~でろ~」このくらいのタイミングで、やっと水面に頭がでた。しばし、危険回避のため足を下手に向けてラッコのポーズで流される。左の岸に向かって泳ごうとするが、水流におされて流され続ける。あきらめてもう少しゆるやかなところまで流される。艇をつかんで流されていたが、見るとデジカメと携帯が入った防水バケツが流されてゆく。アレを流しては被害甚大。艇を回収してもらうことにして、離れバケツを回収。そしてやっと上陸。みなさんご迷惑をおかけしました。

 今回の紛失・・・モンベルのニットキャップ、タオル。

 今回の漂流・・・約200m

 今回の怪我・・・左のけつっぺたに青あざ。

 今回の教訓・・・調子にのってはいけない。カヌーでのイナバウワーは禁止(苦笑)

四万十川カヌー

4月9日(日)高知の四万十川でカヌーをしてきました。先発隊は口屋内でキャンプしており、私は仕事の関係で、夜遅くなるので、車中泊ということにして夜10時30分高知出発。江川崎についたのが夜中1時頃でしたが、江川崎から口屋内まで走る田舎道が動物天国!

 たぬき、いたち、そして鹿が道をつぎつぎと横切る!鹿は、なんと6回も遭遇。親子の鹿や、子供の鹿が道の横の畑にいたり、車に気づいて斜面を登っていったり。翌日、ログビルダー保志場くんにそのことを話すと、彼は以前、キャンプをしていて鹿の群れが、テントの近くにやってきて驚いたとのこと。山にエサがないから里に下りてくるのかもしれないけれど、野生動物にあえるのは、やはり四万十川。

 口屋内について、車をとめ、耳をすますとたぶんカエルの鳴き声の大合唱(種類はわからないが、私が普通聞いているカエルと違う種類)そこに「ケーン」という甲高い鹿の鳴き声が混じる。

空を見上げると見える星の数が全然多い。懐中電灯を持って四万十川の浅瀬を探すとちいさなエビが遊んでいる。楽しい!

日曜日は今年始めてのカヌー。まだ、沈はしたくない、ということで、ゆるやかなコース、江川崎から口屋内までのコースを設定。が、やはり沈してしまいました。(笑)

 うぐいすの鳴き声があちこちで聞こえ、川沿いを走る車の音もまばらな四万十川。時折聞こえる瀬の音にわくわくしながらのんびりと下ってきました。

 水温は12度でしたが、「こりゃたまらん」というほど寒くなく、楽しくカヌーしてきました。カヌーのシーズンの到来です。

写真等は、今後随時UPしてゆきます。

四万十川に出かける

あいの里でツバメみかける

Niyodoainosato060407 高知県伊野町の仁淀川沿いにある「あいの里」で、先週ツバメをみかけたので、今日は、ちょっとゆっくり観察。

私が見かけたのは3匹。「あいの里」の入り口の低くなっているところに巣を作っている。高さ2mくらいしかないので、人がジャンプしたら手が届いてしまうくらいの所。他に写ってないが左側の無人精米所の屋根の下にも巣がある。ここも2mくらいの高さしかない。

Tubame060407 デジカメを向けても逃げずにじっとしている。えらく人に慣れている。

すぐそこには、仁淀川があるので、食べ物にも水にも不自由しないだろう。

各地にたぶん同じような言い伝えがあると思うが、高知では、ツバメが巣を作った家は繁栄するといわれる。だから、家に作ってもみんなあまり巣を壊したりしない。こんなに人間に身近で愛されている鳥はいないように思う。

 近年は、スーパーマーケットや、ガソリンスタンド等にもよく巣をかけているようだ。「あいの里」もそうだが、デコボコした鉄板の屋根が巣作りしやすいのだろう。

 夏になるとうちの近所のガソリンスタンドでは、夜10時くらいにガソリンスタンドに行くと飛んでいるツバメを見かけることがある。夜10時なのに・・・ツバメが飛んでいる・・・とみると、ガソリンスタンドの明るい照明に集まった虫を捕まえているのである。充分明るいし、捕った虫はそのままガソリンスタンドの巣で待つ雛に与えることが出来るのである。その合理性は現代に生きるツバメの英知である(笑)

 さて、「あいの里」のツバメ。よりによって入り口に巣が2~3つかけられている。さすがにこれでは商売にならないだろうと、店長に聞いてみた。

「いやあ、邪魔ですけど、こわすのもかわいそうで・・・」

そう答えた30代のおやじの梅原店長。みょうにかわいらしいその答えに、なんだかほっとした私でした。 

自然と人間の関係がうまく続けばいいなあ。

四万十川におでかけ

この週末、四万十川にでかける。今年はじめてのカヌーだ。珍しくこの週末は晴れそうなので、予定どおり行けそうである。

ログハウスを建てているアイビーログ工房のメンバーが中心で、以前アイビーログ工房が建てたログハウスの施主さんも一緒とのこと、楽しみである。

今回はまだ沈したくないので、江川崎から下を下る予定である。

  四万十川流域の天気等をネットで調べていたら、市町村合併で、町の名前が変わってしまって、どうも調子が狂う。しかも「四万十町」と「四万十市」が出来ている。なんじゃこりゃ。高知のもんでさえ、とまどうのだから県外の方にはますます不便なような気がするなあ・・・ちなみに四万十市は、旧中村市とその近隣、四万十町はよくしらない(笑)また、ちゃんと調べておこう。

「四万十川に行かなかった」はこちら

田植えの季節

Toubu060402_1  高知市介良東部球場東側の田んぼ。2006年4月2日撮影

写真では、手前の田んぼはまだ田植えができていないが、今はおそらくすべての田んぼに田植えが終わっているはず。かえるの鳴き声も所々で聞こえ始めた。

昨日今日と暖かい日。ソメイヨシノも少しずつ散り始めた。

あっ!という間に高知は夏になる(笑)日射しが急に変わってゆくのだ。朝晩はまだ寒いと思う時もあるが、昼間はもうすぐ半袖でOKになるだろう。高知の夏は、長くきびしい。

高知で一番早い田植えはこちら

仁淀川 勝が瀬の沈下橋

Niyodosyougase060305 高知県仁淀川、勝が瀬の沈下橋。(2006年3月5日撮影)

越知からいの町まで配達がてらずっと仁淀川沿いを走る。昨日の夜からずっと雨だが、道沿いに見かける満開の桜はそれほど散ってはいない。来週あたりはあちこちで桜の花びらが舞いそうである。

 帰り道、五台山のふもとにある護国神社を通りかかる。桜の見物客をあてこんで出店が並んでいたが雨のためかわいそうにずぶぬれであった。今日は午後までずっと雨。夕方雨があがったので、近所を散歩する。

うちの近所でも田植えがはじまりました。

ついてない週末 雨の週末とカヌーで死にかけた日

高知県仁淀川加田キャンプ場より下流を眺めるNiyodokada06033102

今度も日曜日の高知県のお天気は「雨」。最近の日曜は、雨や寒い日ばっかりで、カヌーに出かけられない。

やる気マンマンなのだが・・・ドライスーツとか本格的装備を持たない私は、やっぱり寒いのはいやだ。

というか、水温が低いと危険でさえある。

カヌーや、水遊びのトラブルの一つにハイポサーミア(低体温症)がある。水は大気の20倍以上に温度を伝えやすい(体温を奪いやすい)のである。子供とかが水の中とかに長くいるとくちびるの色が変わってしまう、あれですね。

ハイポサーミアになると、運動能力が低下してしまうこともある。カヌーで怖いのは流されたときにハイポサーミアになることだ。

一昨年のGW、カヌー行きたさに、ほぼ徹夜で仕事して配達して、そのままカヌーをしたときのこと。仁淀川の出来地の瀬で沈して流された。まだカヌーを始めて間もない頃だったし、瀬で沈したのも初めてだった。

 泡立つ波で、浮力が低下し、ライフジャケットをつけていても水の中に沈んでしまい余計にパニックになった。が、体が動かない・・・徹夜のせいか?ハイポサーミアになりかけたせいか?流れのせいか?はたまた年齢のせいか?よくわからないが、いずれも当たりのような気がする(笑)。

しかしそのときのことを思い出すと、本当に低い水温で、体は動かなくなる。今見るとたいしたことのない瀬だが、そのときは、自力で岸にたどり着くことさえできなかった。

 幸い、このときは一緒にいたみんなのレスキューで事なきを得たが、単独行だったら、冷たい水の中で、だんだん動けなくなって事故になってしまっていたのかなあ、こんな風にして、人は事故に遭うのだなあ・・・などと思ったりする。

 あれから、数多くの沈をして経験をつみ(爆)パニックになるようなことはないが、寝不足、体調不良の時は、カヌーをしないように心がけている。

命あっての物種、である。

 

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