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高知城と水害と功名が辻

04200001 紀貫之のころ高知市は海だったのだなあなどと前回書いたあと、じゃあなぜ山内一豊は高知城をあの場所に建てたのだろうと考えていた。 (写真は逢坂峠から見た風景。紀貫之が高知に来た頃は、まんなかから上あたりが海だった。今は家が建ち並ぶ。高知城もあるはずだが見えない)

功名が辻の本を家内がもっていたので、ちょっと読んでみた。

高知では、高知のお殿様の話「功名が辻」で高知を盛り上げようとがんばっているが、実は、山内一豊とお千代は高知にやってきて数年で一豊は死に、千代はその後高知を去っているので、2人が高知で過ごした日々は10年も無いのである。おかげで、「功名が辻」の中で、高知で過ごした部分もたいしたページがなかったのですぐ読めた(苦笑)。

「功名が辻」の中にあるので司馬遼太郎の説、ということになるのだろうか?高知市は「河内」と呼ばれ、年に数度水害がおきることも一豊は知っていたらしい。それでも城を建てることを提案した側近の百々氏が、美濃で過ごし、治水に詳しかったことから今の場所に決めた、そして、一豊が、「河内」を「高知」と名付けたとなっている。

なんだかまゆつばな感じもするが、まあ、良しとしよう。(何様だ?)

つまり、高知城とその城下町をつくり、輸送手段としての川の利用を考えれば、今の場所がふさわしかった、というわけである。うーむ、なるほど。

他に浦戸城(今の桂浜のあたり)や、岡豊城(今の南国インターの少し南)もあったはず。

私個人のおすすめは?、岡豊城なのだが、高知の長曽我部氏の残党等の抵抗勢力に悩まされた一豊にとっては、新しく町を築きたかったことと、やはり輸送の便利さが、決め手になったのだろうか・・・

おかげで、現代でも高知市は、水害によくあう。

高知城の外堀としての意味ももつ、鏡川も江の口川も高知城のすぐ近くまで満潮時には潮があがってくる汽水域なのだから台風とかきたらすぐ浸かってしまう。現代の土木技術でも水害がおきるのに、昔はもっと大変だったろう。

お殿様のいる高知城は小高い丘の上だから浸からないけどさあ・・・などという昔の人の声が聞こえてきそうである。

 さて、「功名が辻」のあとがきで気づいた事。「功名が辻」のお話の主人公は、「一豊とお千代」じゃなくて「お千代さん」なのだそうだ。どこまでも影の薄い男である。一豊ちょっとかわいそう・・・

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